【 せっつのくに はちじゅうはちかしょ じゅんれい 】
【 こうぼうざんじぞういん 】
俗称なし
宗派 | 真言宗 単立 |
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本尊 | 地蔵菩薩 |
開山 | 快円 |
創建 | 元禄元年(1688年) |
ご詠歌 | おいたるも わかきもともに ははとして すがるはじひの ぼさつなりけり |
地蔵院は山号を弘法山と号し真言宗高野派神応寺塔中にして地蔵菩薩を本尊とし開祖の快円和尚は晩年を隠居所と定め過ごされた。快円和尚は神応寺再建に当って時の領主柳沢出羽之守吉保の縁故により五代将軍徳川綱吉に拝謁、官費を賜り寺院復興を成功させた。また快円和尚は厳格な人柄で多くの門人を育てた。中でも江戸国学第一人者の契沖には高野山修行時代に大きな影響を与えたと記録されています。
快円和尚の墓が地蔵院墓地の上段に鎮座し仏教復興を見守っておられる。地蔵院はもと東成郡住吉村字大領にありましたが、高野鉄道の道敷にあたり明治34年4月27日当所に移転。境内は400坪あまりを有していたが戦災にて全焼。後の区画整理で市に道路などに吸収され現在は160坪に縮小。境内の水賭け不動尊と四国八十八ヶ所地蔵尊などが池田市五月山地蔵院別院慶光霊苑へ移設。この地も元禄時代の領主柳沢出羽之守の飛び知行地であり苑内鎮守と仏教隆興のため手厚く祀られています。
大正時代から院内に幼稚園を設け子供たちの健康と育成に尽力「地蔵院さんの三光幼稚園の卒業児です。」と声をかけてこられるお方も早80歳をこえられています。戦後閉園し飾り井戸も撤去。当時のおもかげを伝えるのは赤煉瓦塀と瓦屋根と銀杏の大木がしっかりと根づいています。
また戦後高野山より分派。単立本山地蔵院として布教。歴史あるお寺として親しまれています。
納経時間 | 午前8時~午後4時 |
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訪問 事前連絡 | 必要 ※毎月閉門日有り(平日)閉門日はお参りできません |
行事 | ◎ 3月春分の日午後2時~ 春彼岸施餓鬼供養法会 ◎ 8月13日・14日 午後2時~ 盂蘭盆施餓鬼供養法会 ◎ 9月秋分の日 午後2時~ 秋彼岸施餓鬼供養法会 ◎ 12月23日午後2時~ 仕舞地蔵施餓鬼供養法会 |
住所 | 〒551-0002 大阪府大阪市大正区三軒家東4-5-9 |
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TEL | 06-6551-7196 |
FAX | 06-6556-2212 |
なし | |
最寄駅 | JR環状線・地下鉄長堀鶴見緑地線「大正」駅より南西へ、三軒家交差点を越え1つ目信号左に折れ2件目、赤煉瓦塀のお寺です。徒歩約10分 |
駐車場 | なし |
ホームページ | なし |
付近の名所・旧跡 | なし |
食事と休憩・宿泊 | 不可 |